南海本線
高石市以南の泉州地域の鉄道駅としては、1日あたりの乗降客数が隣接する和泉市にある阪和線和泉府中駅、泉北高速鉄道和泉中央駅に次いで多い。また、南海の駅全体から見ても、当駅以南のすべての特急停車駅を上回っている
堺駅~佐野(現・泉佐野)駅間が開通した明治30年(1897)10月に「大津」として開業。昭和17年(1942)4月の市制施行に伴って「泉大津」と改称しました。駅の東側にあるショッピングセンター「いずみおおつCITY」は平成6年(1994)9月、複合都市施設「アルザ泉大津」内に開業。ファッション、雑貨、飲食などの専門店が入店しています。さらに東へ進むと「織編館」があり、毛布の歴史や技術を紹介するとともに、世界の織物や民俗衣装なども展示しています。
・春と秋 槇尾山の桜ともみじ
槇尾山(まきおさん)は、大阪府和泉市にある標高600mの山。標高500mくらいのところに行基・空海ゆかりの古刹「施福寺」があり、参拝登山者の多い霊峰である。
この季節折々に見ることのできる、桜やもみじは圧巻です(●^o^●)
・7月~9月頃 野外コンサート・野外フェス
フェニックス事業の一部竣功により誕生した「夕凪町」の知名度向上と、にぎわいづくりの契機となるよう、「泉大津フェニックスにぎわいづくり委員会」の誘致により、コンサートが開催されてます。
ちなみに、昨年は・・
RUSH BALL 2017
日時:平成29年8月26日(土曜日) 平成29年8月27日(日曜日)
OTODAMA’17 ~音泉魂~
日時:平成29年9月2日(土曜日) 平成29年9月3日(日曜日)
OSAKA HAZIKETEMAZARE FESTIVAL 2017
日時:平成29年9月10日(日曜日)
と様々なコンサートやフェスが開催されました(^_^)
泉大津が一つになって燃え上がる「だんじりまつり」。毎年10月に試験曳きと本祭りが行われます。
通称は濱八町。旧・泉北郡大津村に該当。だんじりの種類は折衷型に分けられる上だんじりで、南海本線より浜側で主に行われている。前後でだんじりとだんじりをぶつけるかちあいで知られている。
大抵の上だんじりの鬼板に施される獅子の彫刻は、一般的に獅噛(しがみ・しがめ)と呼ばれるが、泉大津市では鬼熊(おにくま)と呼ばれる。上之町、西之町、下之町、宮本町の鬼熊には鳥衾がついている。
1785年(天明5年)、岸和田城下の北町(現在の岸和田市北町)が宇多大津村から大型だんじりを購入したものの城門を潜ることができなかった。これがきっかけとなり、翌年には柱に細工を施しただんじりが岸和田で製作され、岸和田型の下だんじりへ発展して行ったと言われている。
・天下に知られた泉州木綿
17世紀ごろから庶民の衣料として広く利用され始めた綿織物。なかでも泉州は、「堺より比の間(樫井)に至る凡そ五、六里ばかり、海に沿ひて平田の間を行くに、極目皆木綿(目に見えるものはみな木綿)」と伊藤東涯による紀州道中紀行に紹介されているとおり、全国有数の綿作地でした。
1785年、宇多大津村に綿花売買の注文所ができ、大津村の人々はしだいに綿の生産から加工や商いへと手を広げていったようです。
・さかのぼれば、真田幸村へ
織物の伝統をさらに遡れば、天保の飢饉の際に、人々がこれを織ってしのいだという真田紐。
「真田幸村が考案し、後藤又兵衛が当地に伝えた」という伝承もあり、木綿平織りのかっちりとしたこの紐を織る技術が、後の織物のまちとしての素地を作ったともいえそうです。
・マニュファクチュアの先駆者
1842年(天保13年)の記録によると、宇多大津村には、農家ではない10軒を含む18軒の織屋があり、近隣の村からも含めた通勤賃織り日雇い82人など、137人の労働者が働いていたとか。ほかにも住民の大部分が綿賃打、糸稼、染屋などに従事している工業の村であり、すでにはっきりと、資本家と労働者の分業という形態がとられていた様子がみられます。
これは、酒造の灘と並ぶ、我が国で最も早いマニュファクチュア(工場制手工業)の始まり。
泉大津は、織物の先進地であるだけでなく、近代資本主義においてもパイオニアだったのです。
全国シェア約90%その底力
・暮らしに産業が溶け込んでいる、日本一の毛布のまち
あなたが、昨夜、日本製の毛布に包まれ眠ったなら、それはたぶん泉大津で作られた毛布でしょう。
国内で生産される毛布の約90%が泉大津とその近隣地域で生まれています。
そう、まさしく泉大津は、日本一の毛布のまちなのです。
以前は、どの通りにも「○○工場」「□□毛布」などと看板を掲げた工場があちこちに見られました。しかし、工場といっても広さは、大きな屋敷ぐらいのものが多く、民家の並びにごく自然に溶け込んでいました。
この「あるのがあたりまえ」の日常性が、紡績・織り・起毛などの分業によって得た競争力とともに、日本一の毛布産業の発展を支える力になっていたのかも しれません。
・丈夫でしなやか、しかもソフトな肌触りのマイヤー毛布
いま毛布の主流といえば、マイヤー毛布です。
2枚の地布を編みながら、同時に毛足となるパイル糸を編み込み、あいだをカットして2枚に分離させ、表裏を逆にして、張り合わせて仕上げます。
この「編む」という技術により、しなやかで毛足の長い、ソフトな感触の毛布になるのです。
染めはシルクの版を何色も重ねる方法で行います。
技術は、着実に進歩しており、ぼかしのはいった繊細な柄もきれいに染まるようになりました。
「特別難しいことはないよ」と、ある染め職人は言いますが、「日本一の毛布のまち」を築き上げたのは、まさに彼ら、泉大津の人たちなのです。
・パイオニア精神が今日の隆盛のカギ
明治20年、日本初の毛布が、泉大津で誕生しました。
素材は、牛毛。
最初は、服地をつくりましたが、ゴワゴワしているのと、においのために売れずに寝具に。ところが、「赤ゲット」と呼ばれ、庶民の憧れの的だった舶来毛布には遠く及ばない代物でした。
しかし人々は、あきらめず、柔らかな肌触りを求めて悪戦苦闘し、乾燥させたアザミの実であるチーゼルによる起毛など、さまざまな技術を生むことになったのです。
結局、毛布産業が発展の足がかりを掴むのは、牛毛を綿にかえてからですが、このときの毛布との格闘が、大き な力となり自信となったのは間違いありません。
大正時代、不動の地位を得た後も、プリント技術などで常に一歩先を行くパイオニア精神は、今も健在です。
新しい主翼―ニット産業
・今後の発展が楽しみなニューパワー
大阪という大ファッション市場に近い地の利を生かし、戦後、急速にのびてきたのがニット産業です。
急速な流行の変化や、高級化・個性化といった消費者のニーズにすぐ応えられる国内有数のニット(横編み・丸編み)産地として、アパレル業界からも高い信頼を得ています。
もちろんその背景には、高度な機能を持った編み機や、色・柄をコンピュータでデザインするシステムなど、最先端技術を追及するといった努力がありました。
今後は、高付加価値時代に売れる商品づくりを目指し、企画・開発にも注力いたします。
技術面では、どこにも負けない自信があるだけに、今後が大いに期待されている産業です。
阪九フェリー「いずみ/ひびき」は泉大津港(大阪府)と新門司港(福岡県)を結ぶ長距離フェリーです。2隻とも2015年に就航し、瀬戸内海を走るフェリーでは初めて展望露天風呂を設置、2015年のシップ・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど、就航当初から話題の多いフェリーです。関西から九州への旅行には明石海峡大橋を真下から眺められ、車やバイク、自転車も乗せる事が可能な阪九フェリーに乗ってみませんか?
阪九フェリー「いずみ/ひびき」は2015年に就航し、泉大津港-新門司港を結ぶフェリーです。運航ダイヤは、泉大津港・新門司港発共に17:30、到着が翌朝6:00。夕方に出港して朝到着する、旅行者に利用しやすいダイヤになっています。
また朝6時に到着しますが、朝7時半まで船内に残る事が可能な「ゆっくりステイ」も無料で実施中。入浴や食事(有料)を楽しめますし、徒歩利用客にはバスやタクシーでの送りも。なお車両を載せる場合、台数に限りがあります。「ゆっくりステイ」は乗船日当日、乗船券購入時に申込が必要です。
「いずみ/ひびき」は船の専門家や船ファンの評価が高く、2015年「シップ・オブ・ザ・イヤー」(主催:日本船舶海洋工学会)を受賞しています。
泉大津ターミナルに最も近い駅は南海電車の泉大津駅です。シャトルバスは南海泉大津駅からは無料で利用可能。ゆっくりステイ利用時の送迎降車駅も南海泉大津駅です。なおシャトルバスはその先、JR和泉府中駅東口からも発着しますが、こちらは有料となります。タクシー利用の場合、南海泉大津駅まで約10分程度。また大阪なんばOCAT発着の連絡バスも有料で運行中です。
阪九フェリー本社がある新門司港のターミナルは、泉大津港行き、神戸六甲アイランド港行きの2隻フェリーが発着出来る体制になっています。「いずみ/ひびき」が発着する第2ターミナルビルはフェリーのファンネル(煙突)の形をしたものになっています。
シャトルバスはJR小倉駅新幹線口(北口)-JR門司駅前-ターミナルのルートで無料で運行中。なおタクシーを使用する場合は、JR門司駅から約15分、JR門司港駅から約20分かかります。車の場合、九州自動車道では門司ICか新門司IC、北九州都市高速道路の場合は大里ICが最も近いです。初めて北九州の道路を走行する利用者は、事前に道路案内地図を見ておくことを勧めます。
「いずみ/ひびき」は以前の船に比べ個室が増え、最上級の部屋は2室しかないプライベートデッキ付きのロイヤルです。他の個室は2名定員のスイートとデラックスです。デラックスは3名部屋の和室、3~4名定員の和洋室、1人部屋の洋室シングル、2段ベッドタイプの4名部屋洋室、2名部屋のバリアフリー洋室があります。
全個室にTV、洗面台、浴衣がありますが、冷蔵庫とバスがあるのはロイヤルとスイートのみです。なおロイヤル、デラックスはデラックスシングルを除いて全部屋に窓があります。個室はカードキーで開閉します。
大部屋のスタンダードには、ベッドタイプの洋室とカーペットタイプの和室があります。洋室、和室にはリターン式コインロッカーがあり、和室の場合は救命胴衣が入っている扉の下にロッカーがあるので、各自が休む場所のそばに貴重品をしまう事が可能なのは安心です。またコンセントもロッカーの下にあるので、電子機器等の充電も可能です。なおスタンダード客室は窓がございません。
このほか、トラックドライバーが利用するドライバーズルームはシングルタイプ(1人部屋)で、TVがあります。ドライバー用のサロン、浴室がありますが、ドライバーもレストランや売店等一般利用者と同じ設備を利用する事が可能です。
「いずみ/ひびき」では前面展望ルーム(写真)があります。フェリーでは夜間航行中、前方に船内から明かりが漏れると、船橋で安全運航が出来なくなります。しかし「いずみ/ひびき」では前方に明かりが極力漏れずに景色を楽しめるよう展望ルームの照明を調整。なお展望ルームのオープンは出港から22時までです。明石海峡大橋の他、新門司行きのみ瀬戸大橋の下を通過する時に利用可能。また後方にも乗船中いつでも利用できる展望デッキが7階にあります。
大きな船での旅で楽しみの一つといえばやはり入浴でしょう。「いずみ/ひびき」では7階に展望浴場があり、海を眺めながら入浴可能。なお阪九フェリーは日本の長距離フェリーのパイオニア。歴代の阪九フェリーの船について解説してあるパネルが浴場入口付近にあるので、フェリー好きの利用者には勉強になるでしょう。入浴前後にいかがでしょうか。
「いずみ/ひびき」で瀬戸内海を走るフェリーでは初めて登場したのが展望露天風呂(写真)です。全国の長距離フェリーでも、同じグループ会社の新日本海フェリー「すずらん/すいせん」に続いての登場!明石海峡大橋を真上に眺めながら、海風に当たりながら入る露天風呂は最高です。入浴時間は乗船から22時、朝4時30分から下船まで。
長距離フェリーのレストランはバイキングが大半である中、阪九フェリーはカフェテリア方式を採用しています。夕食での人気メニューは、注文してから焼き始めるホルモン焼きです。朝食も和洋の定食からかけうどん、そばとメニュー豊富です。
なおレストランエリアは、営業していない時間帯は一部をパブリックスペースとして開放しており、ゆったり過ごす事が出来ます。
「いずみ/ひびき」では焼き立てパンを翌朝に販売しており、夕方乗船した後、売店が開いている時間帯に予約する事が出来ます。売店では土産物、阪九フェリーオリジナルグッズ(写真)などを販売中です。
フェリーの大半は船内駐車場と案内所や客室は違う階にある事が多いのですが、「いずみ/ひびき」は案内所と同じ階に乗用車用の車両甲板があるため、乗用車利用者にとって荷物の出入れや体の不自由な人の移動が楽になりました。なお乗用車専用車両甲板には電気自動車充電設備もあります。