南海本線
明治40年(1907)12月に開業しました。当時この辺りは船尾村と呼ばれ、その村社として、かつてあった諏訪神社が駅名の由来といわれています。プラットホームは以前は相対式でしたが、下りホームの幅員を広くするため、昭和41年(1966)、下りホームのみ難波寄りに約60メートルずらして移設しました。白砂青松の松林から続く海原の彼方に、遠く淡路島が描かれた5枚組ステンドグラスがはめ込まれた西駅舎は、平成10年(1998)9月、浜寺公園駅舎とともに大手私鉄で初めて国の登録文化財となりました。
特徴ある洋風木造駅舎は、国の登録文化財にも指定されており、優等が止まらない駅ながら、見どころの多い駅である。
隣の浜寺公園駅の駅舎とともに、駅舎が国の登録文化財建築物に登録されているが、堺市が予定している連続立体交差事業による鉄道の高架化で駅舎が撤去・解体される可能性もある。この問題は長年議論されたが2006年(平成18年)11月7日に事業認可が降り、高架化が決定した。当初は2018年3月末の完成予定としていたが、仮線用地の確保に手間取っており、2028年3月の完成予定へと変更されている。なお浜寺公園駅舎と同様に諏訪ノ森駅舎に関しても2008年(平成20年)2月7日に開かれた「浜寺公園駅及び諏訪ノ森駅舎保存活用にかかわる懇話会」で議論され、最終会合で高架に伴って造られる新駅正面の脇に移築されることが決まっている。
五つの旧街道の一つ。江戸時代に紀州と泉州の交易ルートとして堺では重要な役割をもち、高麗橋を起点に堺・大道筋から浜寺石津、浜寺公園を経て和歌山に至る経路は参勤交代の大名や商人でにぎわいました。
五つの旧街道の一つ、紀州街道は江戸時代に紀州と泉州の交易ルートとして、特に堺では重要な役割をもっていました。その道筋は高麗橋(大阪市中央区)を起点に、堺・大道筋から浜寺石津、浜寺公園を経て、和歌山に至る経路で参勤交代の大名や商人達でにぎわいました。大道筋の東側には多くの古い町並みが残り、材木町東1丁の商店街には「右住よし 大さか」などの文字が刻まれた道標を見ることができます。(市内延長5.4km)
堺市から高石市にかけての堺泉北臨海工業地帯は、京阪神屈指の工場夜景スポット!
闇夜に浮かび上がる宇宙ステーションのような幻想的で圧倒的なスケールの景色は、まさに夜の絶景です。
石津漁港からいかがですか
東燃ゼネラル石油堺工場を漁港から臨める密かな夜景スポットです。
車の場合は石津漁港交差点より漁港側へ進んで下さい。
駐車スペースは3,4台分ありますが、周辺路上にも駐車可能です。
車を降りて10mほどで東燃ゼネラルの工場群が臨めます。
辺りの雰囲気は殺伐としてあまり良くないですが、常に釣り客と猫がいますので比較的安心・・・。
かげつどう 幸せの餅 運び候
歴史街道、紀州街道沿いのお店です。
店名は河月堂ですが、「浜寺のお餅屋さん、諏訪ノ森のお饅頭屋さん」とお客様に可愛がって頂いて今日に至ります。
毎日、朝からお餅を搗いて出来たてのお餅やお饅頭、最近では関西大学、堺市と共同開発したアスリート餅「和neチャージS」を販売しているお店です。当店の和菓子が皆様の笑顔と笑顔の架け橋となりますよう日々精進ております。