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堺市内の観光にピッタリの電車

周辺環境

会社名からも分かるように、軌道(路面電車)である。阪堺電気鉄道ではない。
単に「阪堺」や「阪堺電軌」、「阪堺電車」の通称で呼ばれるが、一部の人からは「チン電」と呼ばれている。

元々は独立した会社であったが、1909年12月24日に南海鉄道(現在の南海電鉄)と合併して南海の一路線となった。この状態が戦後しばらく続いたが、大阪市営地下鉄谷町線開業により区間の重複する南海平野線が1980年11月28日に全廃されるのと同時に、残存した阪堺線と上町線が南海から切り離されることとなった。こうして同年12月1日に営業を開始したのが現在の阪堺電気軌道である。ちなみに、この社名は前身の会社が南海と合併する以前のものと同じである。

高須神社駅

タカスジンシャと読みます。。。「神社」の読みは「じんじゃ」ではなく「じんしゃ」であり、車内アナウンスでもそのように放送されるが、由来は不明である。

ひとつ前の大和川駅とは、わずか500mの近さ。。。

駅の由来ともなった高須神社

こちらは、タカスジンジャと読みます。1543年にポルトガル人が種子島に漂着して鉄砲が伝来すると、堺の商人が火縄銃製作の技術を学び多くの鉄砲がつくられるようになった。
芝辻家は以後代々鉄砲鍛冶として技術をみがき、理右衛門道逸の代には製作精緻を極めるようになった。1611年、徳川家康より鉄張の大筒を作ることを命ぜられた理右衛門は、銃身約3メー トル、口径約39センチメートル、砲弾重量約 5.66キロの国内初の鉄製大筒を製造して献上している。1614年、大坂冬の陣に際して、徳川家康から500挺の鉄砲を急いでつくるように命じられ、それに応えた功績により近隣の高須の地を賜り高須の地には、1681年に芝辻家の子孫により高須神社が創建されている。

町家歴史館 清学院

清学院は、堺環濠都市区域の北端に位置し、元禄2年(1689年)の『堺大絵図』には「山伏清学院」と記されるなど、修験道の寺院としての歴史を持っています。
建物は江戸時代後期の建築で、平成14年に国の登録有形文化財に登録されています。
江戸後期から明治初期にかけては「清光堂」の名で寺子屋としても使われており、北旅籠町で生まれ、仏典を求めて日本人で初めてヒマラヤ山脈を越えてチベットに入った河口慧海(1866から1945年)もここで学んでいました。
施設内では寺子屋としての歴史をしのばせる資料の展示や、河口慧海に関連するパネル展示を行い、観光ボランティアガイドによる案内もあります

井上家住宅主屋

 通称「鉄砲鍛冶屋敷」の名で知られている、江戸時代から続く堺の鉄砲鍛冶 井上関右衛門の居宅兼作業場兼店舗で、「元禄二年堺大絵図」(1689年)にも同地で記載されています。

建物は江戸時代前期まで遡り、わが国の町家建築としても最古の部類に属するものであるとともに、堺を支えた鉄砲の生産現場が残されている建物としても貴重です。

 ※ 現在も居宅として使用されていますので、外観からの見学のみ