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前の駅から少し離れます・・・東湊駅

周辺環境

前駅の御陵前の駅より700mと今までの近さよりも少し離れたところにあります。

単式のホームが道路を挟んで互い違いに配置されている。浜寺駅前方面のりばが春日通1丁、恵美須町方面のりばが八幡通1丁にある。

浜寺駅前方に片渡り線があり、かつて、区間運転折り返し用に使われていた(特に正月三が日における住吉大社への初詣輸送では、全線通しの系統を補完する目的で当駅 – 住吉停留場間に臨時便を運行し重宝された。ただ最近は合理化のため運行されていない)。そのため、現在でも東湊行きの行き先幕が残っている。

紀州街道と熊野街道の間でどちらも行けますね

熊野街道

五つの旧街道の一つ。熊野本宮への参詣道として平安から鎌倉時代に多くの人々の往来でにぎわいました。山之口橋のすぐ北の南宗寺や鳳南町の2基の道標がその目印です。

五つの旧街道の一つ熊野街道は和歌山県熊野本宮への参詣道で、平安時代から鎌倉時代にかけて「蟻の熊野詣」といわれたほど、たくさんの人々の往来でにぎわいました。
この街道は江戸時代、別名小栗(おぐり)街道とも呼ばれましたが、これは小栗判官と照手姫(てるてひめ)がこの街道を通って熊野詣をしたことが、浄瑠璃や説教節で有名になったためといわれています。山之口橋のすぐ北の南宗寺や鳳南町の2基の道標が熊野街道の目印です。(山之口橋~鳳南町の市内延長5.6 km)

紀州街道

五つの旧街道の一つ。江戸時代に紀州と泉州の交易ルートとして堺では重要な役割をもち、高麗橋を起点に堺・大道筋から浜寺石津、浜寺公園を経て和歌山に至る経路は参勤交代の大名や商人でにぎわいました。

五つの旧街道の一つ、紀州街道は江戸時代に紀州と泉州の交易ルートとして、特に堺では重要な役割をもっていました。その道筋は高麗橋(大阪市中央区)を起点に、堺・大道筋から浜寺石津、浜寺公園を経て、和歌山に至る経路で参勤交代の大名や商人達でにぎわいました。大道筋の東側には多くの古い町並みが残り、材木町東1丁の商店街には「右住よし 大さか」などの文字が刻まれた道標を見ることができます。(市内延長5.4km)

店舗なので外観しか見れないですが・・・。片桐棲龍堂

片桐棲龍堂は堺市の北部、紀州街道の1本東の中筋と阪堺線とに挟まれた敷地に位置する老舗(しにせ)の漢方薬専門店です。敷地内には江戸時代後期に建築された主屋(おもや)を初めとする伝統的な建築物等があります。文化年間のつし二階風主屋、嘉永年間の中ノ蔵、東ノ蔵、大阪市日本橋から移築された西ノ蔵、鎮守社に相当する摩利支尊天などからなります。中ノ蔵、東ノ蔵の間には煉瓦を敷き詰めて洗い場とし、庭園からの目隠しとして煉瓦塀も建てられています。また、西ノ蔵は日本では数少ない漢方医薬専門資料館として国内外の専門家から高く評価を得ています

 

現在も居宅兼店舗として使用されていますので、通常は庭園の見学はできませんが庭園もあるんです!!

片桐棲龍堂は、老舗の漢方薬専門店で、敷地内には江戸時代後期に建築された主屋(おもや)をはじめとする国登録有形文化財(平成12年10月登録)の建造物があり、主屋の東側には同時期に作庭されたと考えられる庭園が広がっています。
この庭園は、腰掛待合(こしかけまちあい)や砂雪隠(すなせっちん)といった茶室に付随する施設が存在することから、単なる鑑賞本位の林泉式庭園ではなく、築山(つきやま)・枯滝(かれたき)・枯流れ(かれながれ)を配した奥山の景色の中に作られた茶の湯に関連する「露地(ろじ)」の形態・構成を持った庭園です。
戦災に遭った堺の環濠都市地域の民家には江戸期に遡るような庭園はほとんど現存していない中で、本庭園は現存する江戸時代後期の医家屋敷の茶庭(ちゃにわ)として、歴史的にも貴重な庭園です。