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駅係員無人化の松ノ浜駅

南海本線

大正3年(1914)12月に開業しました。当時の駅名は「助松」で、昭和35年(1960)12月に「松ノ浜」と改称しました。駅の南東約1.2kmにある「曽禰神社」は、泉大津市内で最古の神社と伝えられています。同神社が位置する曽根町から、和泉市池上町にかけて広がる弥生時代の大集落遺跡「池上曽根遺跡」は、昭和51年(1976)に国の史跡に指定されました。池上遺跡史跡公園内には「池上曽根弥生情報館」「池上曽根弥生学習館」があり、隣接する「大阪府立弥生文化博物館」では弥生文化に関する資料と情報を収集・保存・研究・展示しています。

駅の東側は二田地区

☆二田という地名は二田物部氏の居地に由来すると言います。二田は歴史的にも古い地名で九州や東北などにも残っています。☆

駅のすぐ東側!駅降りて目の前☆あすとホールは高層住宅棟、「あすと松之浜」の2階に設けられた、生涯学習と地域のコミュニティーの創造を目指す総合コミュニケーション・スペースです。

当施設は、21世紀に向けた新しい公共サービスのあり方のモデルとなる、日本初の本格的なPFI事業として、全国の自治体、 関連企業などから大変注目されている施設です。

 

 

通称タコ公園の古池公園

通称タコ公園。タコのすべり台がシンボルの公園です。グランドと隣接していて大きな公園です。小さな子供用の遊具もあり、休みの日は大勢の人で賑わいます。

もともと、”南古池”と呼ばれたいけを埋め立てて公園になった。北側は”古池”に西側は”新池”に接しており、かつてはこの付近を”四つ池”と称した。”南古池”は古代の豪族・二田物部氏により築造されたと伝えられる。

 

海側地区は、松ノ浜地区

かつては、”南浜寺”、”松ノ浜”と呼ばれ大正時代半ばごろから郊外住宅地として開発が進み、戦後は助松海水浴場で栄えました。松ノ浜という町名は昭和35年につけられました☆

 

国登録文化財の一つ【旧海野家住宅】

大正九年から開発された臨海住宅地に建つ。二階建で一階は応接間、書斎など洋室を配し、二階は座敷、茶室の和室とする。外観はスパニッシュを基調とし、内部は様々な様式を用いており、持送り等彫刻に独特の意匠が見られ、随所に施主の工夫が凝らされている。

まだまだ国登録文化財【板塔婆 】

この板塔婆は大阪府豊能郡東豊能村より移したものである。二基とも延文四年(一三五九)の刻銘があって造立年代がはっきりしている。
二基ともほとんど同じで、断面矩形の石柱上部に五輪塔形を造り出した塔婆である。恐らく供養碑の類であろう。

 

泉大津ふるさと文化遺産です・助松村境石造物群

紀州街道沿いにあります。病等は村境から入ると信じられていたので、

村に災いが入ってこないよう、あちこちで地蔵尊等を村境に設置したのだとか。

延命地蔵尊、4つの石碑(塔)があります。道路向かいにも1つ石碑があります。

西国三十三か所巡りを記念し石碑が建てられたのだとか。

向かいの石碑は亡くなりそうな方が、穴に入り、鐘の音が聞こえなくなったら死んだので、

穴を塞いでほしいといい、1週間後鐘の音が止まったのでその通りにし、その上に供養塔を立てたとの言い伝えがあります。