南海本線
南海鉄道当時の明治40年(1907)10月に開業しました。所在地である出島町が、古くから「湊村」と呼ばれていたことが駅名の由来といわれています。駅の付近には、かつて田畑に利用していた井戸から水をくみ上げるための風車が林立していましたが、都心に近いこともあって昭和30年代から住宅地が増え始め、現在では見られなくなりました。
大浜公園は明治12年(1879年)に開園し、堺市営で最も古い公園です。(府営浜寺公園は明治6年(1873年)に開園)。明治36年(1903年)には大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会の会場となり、世界に誇る東洋一の水族館と言われた堺水族館が設置されました。その他にも公会堂、潮湯、海水浴場、料理旅館や土産物屋などもあり、当時は、関西有数のレジャー地として賑わいました。 しかし、当時の白砂青松の美しい海岸線も臨海工場地帯の埋め立て造成に伴い、その面影をなくしました。現在は、野球場、屋外プール、体育館、テニスコート、相撲場、猿飼育舎、蘇鉄山などがあり、スポーツ・レクリエーションの場として利用されています。
南極観測第一次越冬隊に参加した樺太犬15頭が悪天候のため帰国できずそのまま残され、その後の奇跡の生還を果たし、映画「南極物語」の主人公となった「タロ」や「ジロ」らの霊を慰める像です。堺市在住の彫刻家、故岩田千虎氏により彫刻され、昭和33年(1958年)に市に寄贈されました。現在の像は市内の彫刻家、故白石正義氏監修のもと岡村哲伸氏により昭和62年(1987年)に復元制作されました。
明治36年(1903年)第5回内国勧業博覧会の際に開設された堺水族館(昭和36年閉館)の関連施設として、昭和12年に猿島が設置され市民の方に親しまれていましたが、猿の飼育環境の改善と健康維持のため老朽化した施設(猿島)を撤去し、平成21年(2009年)6月に現在の飼育舎が整備されました
25メートルプール2面と幼児用プール1面、変形プール1面があり、夏季(7月から8月)に営業しています。
営業期間は変更されることがありますのでご注意ください。
大阪湾を見守り続けて1世紀あまり。六角形の木造灯台は現存する木造洋式灯台としては日本最古のひとつ。明治10年(1877)、旧堺港の突端に建築された旧堺灯台は高さ11.3m。現存する木造洋式灯台としては、旧安乗埼灯台、福浦灯台と並ぶもっとも古いもののひとつだ。ペリー来航に伴う開国で、外国船が安全に航海できるよう各地に灯台がつくられた際のもの。設計はイギリス人技師のビグルストンによるもので、建築費は市民の寄付などで賄われた。当初は灯油ランプが使われ、緑色を帯びた光がはるか沖まで届いたとか。しかし臨海部の埋め立てが進み、昭和43年(1968)にその役目を終えた。現在は保存修理され、往時の姿が甦り、国の史跡に指定されている。
旧堺燈台の対岸に立地している大規模な工場壁面を利用して、堺の歴史文化と観光魅力を表現する日本最大級の壁画で、平成25年(2013年)7月に設置されました。旧堺燈台付近に説明板があり、そこから一望できます。壁画は幅155メートル、高さ11メートルで、南蛮貿易で栄えた堺や当時の日本の港に寄港した外国の帆船のほか、乗組員の上陸の様子をモチーフに描くなど、「黄金の日日・堺」の時代にタイムトリップし、堺の歴史ロマンを堪能できます。
戦前、ラジオ普及の為に公園など公共の場に設置されたものがラジオ塔です。当時ラジオは高級品で一般家庭にはなかなか普及しなかったため昭和5年(1930年)に、大阪中央放送局が天王寺公園にラジオ塔を初めて設置しました。これを皮切りに全国に約460基が設置されました。
大浜公園のラジオ塔は、昭和8年(1933年)に設置された全国的にも現存している数少ないラジオ塔の1つです。平成23年(2011年)4月に、当時のラジオ塔を忠実に復元したレプリカを中央広場に設置しました。1日に6回ラジオ体操第1などのメロディが自動的に流れます。
大浜公園の東南に隣接する広大な敷地に、明治21年(1888年)に設立された大阪窯業株式会社の堺分工場が明治29年(1896年)に建設され、近代の土木・建築構造物がコンクリートに取って代わるまで、ドイツのホフマン式輪窯にて大量の煉瓦が製造されていました。その工場跡地にあった記念碑を隣接する大浜公園内に移設したものです。
嘉永7年(安政元年・1854年)に発生した安政南海地震に関する記念碑であり、当時の堺の人が如何にして災害に対応したかが刻まれています。この碑は地震と津波の恐ろしさを記すとともに、これらへの対処法を教訓として後世に伝える貴重な歴史資料で、平成27年(2015年)3月13日に堺市指定有形文化財に指定されています。
なお、堺市立図書館ホームページの図書館刊行物のページの図書館報「ゆづりは―堺市立図書館だより 第19号(平成23年6月発行)」の3ページに擁護璽の記事が掲載されています。
明治36年(1903年)に開催された第5回内国勧業博覧会の第2会場となった大浜公園に(第1会場は天王寺公園)明治天皇が来られた際の記念碑です。
明治12年(1879年)に大浜公園が解放され、展望のよい築山として蘇鉄山が整備されました。その後の明治18年(1885年)に蘇鉄山の約300メートル東南にあった御蔭山(オカゲヤマ)の頂に近代地図作成のための基準点となる一等三角点が設定されましたが、昭和14年(1939年)に御蔭山は鉄道敷設事業に伴って切り崩しが決定し、一等三角点は蘇鉄山の標高6.84メートルの地点に移設されました。これにより、蘇鉄山は一等三角点が設置されている山で日本一低い標高の山となりましたが、山名は未登録のままでした。
平成12年(2000年)4月に国土地理院により山名が認定され、一等三角点が設置されている山で日本一低い山であることが正式に認められました。現在、蘇鉄山の一等三角点の標高は6.97メートルに変わりましたが、一等三角点の設置されている山としては依然として日本一低い山であり続けています。
登頂されますと南海線「堺駅」南口すぐの神明神社で登山認定証がもらえます。
江戸時代の終わり頃、外交を求める外国船に対し湾岸防備の為、全国各地に大砲を備えた土塁が設けられました。この砲台場跡地もその1つです。当時の石垣等が比較的残っており幕末の緊迫した世情が伺える貴重な跡地になっています。現在の大浜公園の北東部分にあたり、南外濠を花菖蒲園として整備しています。
なお、堺市立図書館ホームページのデジタル郷土資料展に掲載されている「堺浦海岸砲台築造図絵(写)」は慶応2年(1866年)に洋式の砲台場に大改築が行われた南砲台場の資料です。
龍女神像は、明治36年(1903年)に開催された第5回内国勧業博覧会の際、堺会場となった大浜公園の水族館前に設置されました。博覧会終了後は「乙姫さん」の愛称で親しまれましたが、昭和49年(1974年)の水族館とともに撤去されました。
堺市では、この像を平和と繁栄の象徴とし、平成11年(1999年)の市制110周年記念事業の一環として、旧堺港の北側の北波止緑地内に復元設置し、ワッショイ2000世界民族芸能祭平成12年(2000年)7月の開会式にお披露目しました。像は、青銅製で高さ10メートル、台座を合わせると全高26メートルになります。夜になるとライトアップされています。
日本航空輸送研究所は1922年(大正11年)6月4日に設立された日本の民間航空輸送会社である。堺市の大浜水上飛行場を拠点に、堺‐小松島間の乗客・貨物・郵便の輸送業務をはじめ、堺‐高松、堺‐大分、堺‐白浜間の定期航空路線を開設した。後に拠点を大阪市大正区の木津川河口付近に移し、大阪‐別府間の路線などを開設した。1939年(昭和14年)10月31日に業務を停止した。
徳島県出身のタクシー会社経営者の井上長一が設立した。大日本帝国海軍から払い下げられた横廠式イ号甲型水上練習機、一四式水上偵察機、愛知AB-4飛行艇、スーパーマリン サザンプトンなどを運用した。国策会社である大日本航空の設立により、日本航空輸送研究所は1939年(昭和14年)10月31日に業務を停止した。戦後、井上元社長は関西汽船と共に極東航空を立ち上げ、これが日本ヘリコプター輸送と合併して全日本空輸となった。
跡地は出島漁港と堺出島ヨットハーバーに姿を変え、漁港奥手に航空輸送発祥記念碑がある。格納庫跡には堺市消防局本庁舎が建っている。
手ぶらで来て、海鮮バーベキューが楽しめる出島漁港で毎週土・日のみ開催のとれとれ市。
出島漁港では毎週土・日曜日に新鮮な魚介類の販売やバーベキュー、たこ飯、海鮮天ぷら、いかの姿焼き、あゆの塩焼き、たこ焼き、おでんなど屋台がたくさんあり、家族そろって楽しめます。
茅渟(ちぬ)の海~大阪湾~
大阪が「なにわ」と呼ばれていたのも「魚場(なにわ)」すなわち魚の豊富な海という説もあります。また、大阪湾は古来より「ちぬの海」と呼ばれるほどに魚介類の豊富な海でもあります。
沿岸漁業を中心とする堺(出島)漁港で水揚げされる主な魚種には、スズキ、キジハタ、サワラ、マアジ、クロダイ、タチウオ、カレイ等があり、アナゴ、タコ、エビ類、ガザミ等も獲れています。
漁場としての大阪湾は淀川、大和川などの大きな河川の恩恵を受けて豊富な漁場となっている。堺の漁業は典型的な沿岸漁業であり、アジ、イワシ、イカナゴ、スズキ、カレイ、タチウオ、アナゴ、タコなどが漁獲されている。また堺は古くから開港場として栄え、同時に漁業の根拠地としても発展してきました。しかし、昭和33年から開始された堺泉北臨海工業用地造成のため共同漁業の全てを含む沖合約5000メートル以内の漁場を放棄せざるを得なくなりました。その結果漁業は大きな転換を余儀なくされました。さらには関西空港の開港により漁場はさらに制約され、漁業者の再編成、経営の合理化、多用化が課題となっています。
漁港には漁獲物の水揚げ、陸揚げ作業が能率的に行えるよう、荷捌き施設、燃油補給施設、漁具倉庫などの施設をはじめ、冷蔵保管施設、製氷施設、などの整備がすすめられてきました。そして、平成7年から市民とのふれあい場を提供するための「とれとれ市」を行っています。