南海本線
大正14年(1925)7月に開業しました。駅名は地名から。源平の時代に源氏方の今井五郎兼滋がこの地へ攻めてきた際、忠度の子・忠行が父を紀州方面へ逃し、今井勢をくい止め戦死しました。哀れんだ村人たちが手厚く葬り、丘を築いて「忠行の丘」と呼んだのが地名の由来といわれています。駅から徒歩約5分の「永福寺」には、境内にビャクシン(ヒノキの仲間)があり、大阪府の天然記念物に指定されています。東洋美術品を公開している「正木美術館」へは徒歩約15分。収蔵品は国宝3点、重要文化財12点を含め約1,200点を数え、東洋古美術の多彩な分野に及びます。
忠岡町は、大阪府の西南部大阪湾沿いの平野部に位置して おり、面積が4.03k㎡の日本一小さなまちです。
かつては漁業や毛布・ニットなどの中小繊維工業が盛んで、 現在は大阪中心部まで30分ということもあり、大阪の通勤・通学都市になりつつあります。
忠岡町は数多くの有名人の出身地。 特にスポーツが盛んで、中学生野球チーム『忠岡ボーイズ』は
数多くの大会で優勝し、あのメジャーリーガー前田健太投手などプロ野球選手も多数輩出しています。
素封家・正木孝之が禅林文化に惹かれて収集した水墨画を中心とする日本・東洋の古美術品の収蔵・展示を目的として1968年11月に開館した。
平成30年11月に開館50周年を迎えます。
秋季に開館50周年記念展を控えた今春は、記念展の先駆けとして、当館コレクションの中核を担っている日本中世の水墨画・墨蹟作品を中心に、さわやかな趣の名品を選んでご紹介いたします。「布袋図」(愚渓右慧筆)、「竹石図」(惟肖得巌ほか賛)、「渓陰斎図」(一華心林ほか賛)など、中世の禅林美術の逸品が数多く並びます。
また新館では、当館創設者正木孝之(1895~1985)が愛した茶道具の数々も展示いたします。孝之は東洋古美術作品を収集する傍ら、茶の世界にも情熱を注いでいました。禅僧一休宗純の人となりを愛したことから、所蔵の「一休宗純墨蹟 滴凍軒号」(室町時代)にちなんで自らの号を滴凍としていました。「中興名物 瀬戸真中古茶入 銘小筵」(室町時代)や「谷焼 楽茶碗」(江戸時代)など、滴凍翁の茶道での美意識を感じていただければ幸いです。
半世紀にわたって多くの方々から親しまれてきた佳品を改めてお楽しみくださいませ。
泉大津市と岸和田市に挟まれ細長い形をした忠岡町は、日本で最も面積の小さい町。かつては同じ大阪府の田尻町の方が小さかったが、関西国際空港建設による埋め立てで面積が増え、さらに愛知県の春日町が清須市と合併して消滅したため、平成二十一年(2009)十月に日本一となった。
忠岡神社は旧忠岡村字道村に鎮座し、江戸時代までは天神社と称した。
明治五年(1872)に菅原神社として村社に列す。
明治四十二年(1909)に旧忠岡村字南戸の村社八坂神社(牛頭天王社)より素盞嗚命、同字弁天の村社厳島神社(弁財天社)より狭依毘賣命、同字春日の村社春日神社(春日大明神社)より春日四神と栲幡千千姫命、旧下馬瀬村字宮の前の村社馬瀬神社(天一神社)より天御中主命を本殿に相殿合祀。また旧忠岡村字戎山の無格社事代主神社(戎神社)より事代主命を末社として境内に迎えた。その翌年に現社名に改称。岡神社は忠岡町内で宗教法人として登録されている唯一の神社です。
忠岡町のだんじりは江戸時代に始まったとされ、豊作・安全を祈願して毎年10月に行われる勇壮な祭りで、道之町・濱之町・仲之町・生之町の4台のだんじりが忠岡町内を疾走します。『明治甚五郎』の異名を持ち、彫師も兼ねる大工棟梁『櫻井義國』が製作した道之町のだんじりは有名です。
元弘3年(1333年)楠木正成の菩提を弔うため、九代目安明兼孝 改め了願が天台宗の寺を建立。明応7年( 1498年)蓮如上人により浄土真宗に改宗。 境内には、「大阪みどりの百選」大阪府天然記念物指定『びゃくしん』の大木5株がそびえ立ち、一番の巨木は樹齢1400年位と云われている。 大きな枝を横に広げた姿は強い生命力を感じることができる。
室町時代、勝基上人が西光寺(さいこうじ)を再建し浄土宗では唯一の勝基寺と号。 寺宝『われ鉦(がね)』は1200年前に中国から忠岡の浜に投げられたとも云われ、勝基(しょうき)は「生帰」の地名由来となる。
天文14年(1545年)創立。真宗の道場を経て元和4年(1618年)四世教西正覚寺の寺号を西本願寺から授かる。正木家の菩提寺で、6月には10種類の紫陽花が訪れる者を楽しませてくれる。本堂の欄間は約500年前に造られたもので「古事記」の中では、天災などによる河の氾濫などは『竜が暴れる』という云われがあり、それを鎮めるために靴を頭の上に乗せたと伝えられ、欄間はその様子を表現している。
天平3年(731年)創建。文明11年(1479年)本願寺蓮如上人に帰依して以来、浄土真宗の法灯を伝え続けている。 忠岡町最古の木造建築といわれる太鼓門は文化3年(1806年)建立。本堂は天保13年(1844年)に建立し、平成23年(2011年)に大修復を行う。 本堂正面向拝(ごはい)の迫力ある彫刻『親子獅子』は、岸和田市旧紙屋町地車製作者の花岡源七師作で必見である。