南海本線
当社の前身・阪堺鉄道が開通した明治18年(1885)12月に開業しました。当時の駅名は「住吉停車場」でしたが、のちに「住吉公園駅」となり、玉出~大和川間の高架化に伴って新駅舎が完成した昭和54年(1979)5月に「住吉大社駅」と改称しました。
また、上り下りとも海側の線路(快速線,2番線・4番線)は臨時ホーム扱いとなっており、普段は閉鎖され通過列車専用となっている。これらのホームは正月三が日のデータイムの区間急行・急行・空港急行の臨時停車時に使用される。有効長は10両編成対応だが、使用していない部分は柵で仕切られている。 通常は2・4番線にはホーム柵が設置されているがこれは取り外し可能で正月3が日は外されホーム上の使われていないスペースに置かれる。
ホームは3階、改札口は2階にある。1階はショップ南海となっている。また、ショップ南海の南側の道路を隔てた対面には、正月三が日だけしか開かない臨時の階段や改札口があり、住吉大社からの帰り(つまり、住吉大社駅からの乗車時)にはこちらに誘導される。こちらは、切符売り場こそ窓口対応だが自動改札機が設置されており、簡易ではあるがICカードにも対応している。
2008年のバリアフリー工事に伴い、1月にLED式の列車接近予告装置を設置(普通車が停車する緩行線,1・3番線のみ)。3月にエレベータ設置などの駅のバリアフリー工事と、トイレ・ショップ南海のリニューアル工事が完了し、関西の鉄道駅では初めて階段の昇降時に楽な身体移動が可能で、膝や腰の負担を軽減できる「クネット」を設置した。ただし、先述の臨時改札側についてはこれらの設備は設置されていない。
全国屈指の初詣客数を誇る「住吉大社」は、住吉大神(底(そこ)筒男(つつのをの)命(みこと)、中筒男(なかつつのをの)命(みこと)、表(うわ)筒男(つつのをの)命(みこと))と神(じん)功(ぐう)皇后(こうごう)を祭神とし、第一本宮から第四本宮に至る「御本殿」が国宝建造物に指定されています。
「初詣といえば すみよっさん」と大阪の人は口をそろえます。
大晦日の夜になると、どこからともなく人が集まり、門前は人々でいっぱいになります。零時ちょうどの太鼓が打ち鳴らされると、いっせいに参拝の拍手が鳴り、一年の幸福を祈願する人々で境内があふれます。三ヶ日の参詣者数は毎年二百万人。大阪をはじめ多くの人々の心のよりどころとなっています。
御田植神事や夏越祓神事は、その起源を創祀の時代とし、太古から続く儀式を今に伝えています。「商都大阪」らしさにあふれる初辰まいりは、住吉大社ならではの信仰です。日々の生活も商売もずっと成長してほしい─発達祈願に由来します。月に一度の神様のご挨拶に、全国各地から人々が訪れます。
住吉大社の祭神は、伊弉諾尊が禊祓を行われた際に海中より出現された底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神、そして当社鎮斎の神功皇后を祭神とします。仁徳天皇の住吉津の開港以来、遣隋使・遣唐使に代表される航海の守護神として崇敬をあつめ、また、王朝時代には和歌・文学の神として、あるいは現実に姿を現される神としての信仰もあり、禊祓・産業・貿易・外交の祖神と仰がれています。
伊邪那岐命 (いざなぎのみこと) は、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命 (いざなみのみこと) を追い求め、黄泉の国(死者の世界)に行きますが、妻を連れて戻ってくるという望みを達することができず、ケガレを受けてしまいます。そのケガレを清めるために海に入って禊祓いしたとき、住吉大神である底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと) 、表筒男命 (うわつつのおのみこと) が生まれました。
住吉大社は、第十四代仲哀天皇の后である神功皇后 (じんぐうこうごう) の新羅遠征(三韓遠征)と深い関わりがあります。神功皇后は、住吉大神の加護を得て強大な新羅を平定せられ無事帰還を果たされます。この凱旋の途中、住吉大神の神託によって現在の住吉の地に鎮斎されました。のちに、神功皇后も併せ祀られ、住吉四社大明神として称えられ、延喜の制では名神大社、二十二社の一社、摂津国一之宮、官幣大社に列せられています。
伊勢の神宮では、20年ごとに社殿をことごとく造り替えて大神を新宮にお遷しします。これを式年遷宮と言います。住吉大社でもこの制度が定められ、奈良時代以来20年ごとに遷宮が行われてきました。記録上の初見は、天平勝宝元年(749)、この時にはすでに積習となっていたことが見えるので、少なくともこれまでに数回の遷宮が行われていたことがうかがえます。
以後、平安、鎌倉時代を経て室町時代の永享6年(1434)まで20年ごとの式年遷宮の跡は明確に巡り得ますが、戦国乱世になると遷宮は困難を極め半世紀以上に渡り中断されました。しかし、住吉大社に対する民衆の崇敬は絶える事なく遷宮の制度は再び甦みがえります。明治以後は昭和・平成と回を重ね、平成23年の御鎮座1800年記念大祭に合わせて国宝社殿の塗替をはじめ諸建造物の修繕を行う「第49回式年遷宮」が斎行されました
住吉公園という名称だが、現在の住所表示では住之江区になる。不思議ですね。。。もともとは住吉区に属していたが、1974年の大阪市の区の変更に伴い、住吉区から住之江区が分区した時、住吉公園は住之江区地域に含まれた。
住吉公園は、現在は市民公園で、花壇や池、遊戯施設、コートなどが並ぶ。しかし元は住吉大社の境内で、大社の馬場があった。公園の中央を東西に走る「潮掛け道」は、住吉大社の表参道だった。
国道26号に面した所に立つ高灯篭は、住吉大社の灯篭で、鎌倉時代創建の日本最古の灯台とされる。現在の高灯篭は1974年に場所を移して復元されたものであり、元は200メートルほど西方にあった。2005年(平成17年)に内部を改装し、史料館となっている。一般開放は毎月第1・第3日曜の10時~16時。
今は完全に内陸の市街地だが、かつては、住吉公園の少し西側を走る阪神高速15号堺線あたりまで海が迫っていた。この海に面した住吉大社の社前の風景が、日本の美しい風景の典型とされる白砂青松の原景である「住吉模様」の地。
また鎌倉時代の元寇の時は、蒙古撃退のための住吉大社による住吉大神への「浜祈祷」は、住吉公園の前に広がっていた住吉の浜で行われた。
住吉公園内にはたくさんの見どころがあります!!!
まずは、「汐掛け道・汐掛道顕彰碑」
昔、住吉大社の参道でした。住吉公園の東西を走る石畳の情緒あふれる通りで、四季折々の姿を楽しめます。この通りを歩くとゆるやかに時間が流れるような気がします。汐掛道顕彰碑には昔の面影と名前の由来が記されています。
・「心字池と川の流れ」
真上から見ると心の字に似てます。
人工の池ですが、サギなどの鳥たちが羽を休めに来ます。静かな水面は季節ごとにいろんな風景を写しだしているようです。公園事務所横からは川の流れのように心字池に水が流れ、川の流れは周りの花や樹木の風景にリズムをつけています
・「桜広場」
住吉公園の桜はソメイヨシノが大半です。その大半は桜広場に集約されています。満開の時期になるとたくさんのお花見の人が集まり、宴が始まります。
・「高燈籠」
日本で最古とされる灯台。
第1第3日曜日 10:00~15:00入館できます。
夜はライトアップされます。 昭和49年12月復元されました。
・「芭蕉句碑」
芭蕉の没後170回忌に建てられました。
芭蕉が住吉大社の「升の市」に訪れたときの句が刻まれています。
毎年9月に住吉公園で「升の市」が開かれています。
1864年江戸末期に建てられました。
・「花と水の広場」
公園の東に位置する沈庄花壇は、春と秋に植えかえられ、ウォーターカーテンなどの親水施設と共に公園を訪れる人を出迎えます。少し離れて川の流れがあり、季節の花が流れに沿って咲いています。花と水のハーモニーをお楽しみください。
・「旧住吉村役場跡」
熊野街道(くまのかいどう)は、京から大坂を経て熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への参詣に利用された街道の総称。紀伊路とも呼ばれました。街道は、摂津大坂の渡辺津(大阪市中央区天満橋付近)を起点に四天王寺(大阪市天王寺区)、住吉大社(大阪市住吉区)、堺、和歌山などを通り、紀州田辺を経て、中辺路または大辺路によって熊野三山へと向かう道筋でした。
南海住吉大社駅の東隣にある頭端式3面2線のホーム(1番線が両側ホーム)を持つ地上駅。ホームの長さは2両分あり、最大4列車まで入ることができた。このために、ホームの表示機にも前から発車する旨を出せるようになっていたが、基本的にこの表示が出るのは大増発される正月3が日だけであった。ホームには金魚の泳ぐ水槽があり利用者の目を和ませていた。この水槽は戦時中に防火水槽として造られたものである。
昭和30年代には、ラッシュ時には1分間隔、1日約200本の発着があったが、あべのハルカスの全面開業に伴い行われた、2014年3月1日のダイヤ改正で、当駅を発着する電車は朝の7・8時台のみに変更され、9時台以降の列車はすべて廃止された。このダイヤ改正前は、当駅を出発する電車が66本あったが、改正後は平日は5往復、休日は4往復のみとなり、始発が住吉公園に到着する時刻が7時35分(平日・土休日とも)、住吉公園発の最終が8時24分(平日)、8時32分(土休日)と営業時間帯は1時間に満たなくなった(同時間帯以降の上町線は全て阪堺線我孫子道または浜寺駅前発着になるため、利用者は隣接する阪堺線住吉鳥居前停留場を利用することとなった)。このため廃止直前には「日本一終電が早い駅」としても知られていた。なお、2015年と2016年の正月3が日の臨時ダイヤでは、日中時間帯(10 – 17時台)に約8分間隔で上町線電車が発着し、1000形「堺トラム」も乗り入れた。
駅北側の踏切は正月3が日の大増発時に監視のための職員を多数配置の上で手動操作をおこなっていた。これは、この時だけ住吉公園行きは踏切手前にある住吉停留場の臨時ホームを使用するが、すでにこの踏切の検知地点を過ぎているのでそのままでは長時間踏切が閉まったままになるためであった。
2015年8月28日に阪堺電気軌道が上町線 住吉 – 住吉公園間を2016年1月31日付で廃止することを国土交通大臣に申請したと発表し、当停留場は申請通り2016年1月31日に廃止された。最終電車はモ161号車。ホームの水槽に飼われていた金魚は、大阪市立茨田北中学校に引き取られた。また、駅ナンバリングでHN11が欠番となった。
現在住吉~住吉公園間の線路敷及び駅構内は駐車場となっているが、テナントが入っている関係もあって住吉公園の駅舎はそのまま残され、駅舎正面上部には右書きで“驛園公吉住”の文字がそのまま残っている。
大阪市の南部に位置する住吉区は、1800年もの歴史を誇る住吉大社をはじめ歴史のある神社・仏閣や史跡、伝統的な建物などが点在し、いくつも旧街道が通り、歴史や文化、また万代池などの美しい自然環境、商店と古い町並み、などなど沢山の魅力ある資源が集まっています。
このような、市内でも非常に特色の強い豊かな住吉の魅力を、地域住民が愛着を持って発信し、区内外からの集客を図るためのイベントとして「すみよし博覧会」(すみ博)は2007年(平成19年)、「観光・集客による住吉区まちづくり推進事業」として、「“地元自慢の資源”が生きたパビリオンとなる博覧会」を目指して誕生しました。
以後、毎年規模を拡張し工夫をこらし「観光区住吉復活」のイベントとして継続してきましたが、2011年度からは区民の主体的な参加による「すみ博実行委員会」を結成し、より区民が主体となって一段とパワーアップしたイベントを目指しています!
秋ぐらいに開催してるので、一度住吉大社・住吉公園へ行ってみてはいかがでしょうか?