南海本線
大正6年(1917)4月に開業しました。玉出~大和川間の高架化に伴って旧駅舎を撤去し、昭和54年(1979)8月に高架下2階部分に新駅舎を開設しました。「住吉の 粉浜のしじみ開けも見ず 隠りてのみや 恋ひ渡りなむ」と万葉集に歌われたとおり、海岸線の浜辺でアサリやハマグリなどが採れ、住吉詣でのお土産としても有名でした。大正時代に発足した「粉浜商店街」は、同駅西側の粉浜小学校から住吉大社駅にかけて約120店が軒を連ねており、歴史ある商店街らしく老舗の店が多く見られます。
大阪のパワースポット・住吉大社の門前町が「粉浜商店街」。地元の人々の生活を支える生鮮品や生活雑貨の店が並び、通りには屋根が付いているので雨の日でも買い物を楽しめることができます(#^.^#)
粉浜商店街とは、大阪市住之江区にある商店街です。大阪のパワースポットとして知られる住吉大社の最寄り駅、南海本線の住吉大社駅から粉浜駅までの1駅分。約600mの区間に120軒もの小さな商店が並びます。商店街にはアーケードと呼ばれる屋根がついているので、雨の日でも買い物が楽しめます。
利用客のほとんどが地域住民という地元に密着した商店街のため、扱われている品物は、野菜や肉、魚などの生鮮品や、生活雑貨などが中心。観光地化している商店街とはひと味違うローカルな雰囲気が魅力です。ふだん使いしている安くてよいものやおいしい食べ物を、手ごろな価格で見つけることができます\(◎o◎)/!
戦国時代、天文7年(1538)の作と伝えられています。地蔵が閻魔大王に化身したもので、難波の浜から背負って運んで来たところ、この地で急に重くなり、一歩も前へ進めなくなったといわれています。冥土の苦界六道の辻が、今では1本増えて七道の辻となっています。閻魔は地蔵菩薩の化身で、姿は怖いが心は優しいといわれています。
祭神は少彦名命で、江戸時代は住吉大社の摂社であったが、明治5年分離されて郷社となりました。本殿は淀君が寄進し、片桐且元の手で竣工されたといわれています。桧皮葺・壱間社流造りの建物で、正面千鳥破風や扉の装飾などに、桃山時代の華麗な様式を残しています。「住吉大社造営記」によれば、慶長5、6年 (1600年頃)の建立とされています。昭和45年2月、府の有形文化財に指定されました。
漢字で書けば弥六。
弥六の「弥」
南無阿弥という言葉からいただきました。
「弥」という文字の意味は「御奉仕させていただくという意味があるそうです。
「美味しい食事を召し上がっていただく」という意味になります。
弥六の「六」
名前をつけていただいた当時、大変縁起の良い数字だった、ということです。
その言葉を合わせて、当店は「弥六」と名付けられました。
やろく名物・玉子コロッケは一代目の頃から売られていました。当時は「玉子コロッケ」ではなく「クロケットドゥーフ」という名前で売られていたようですね。
クロケットドゥーフとは、フランス語でコロッケを意味する言葉なんですね。
やろくのコロッケは、ジャガイモを一切使っておらず、玉子が主役で牛乳・バターでクリーミーに仕上げられていて、店内で食べる玉子コロッケには海老が入っています。
玉子コロッケにはケチャップが添えられていますが、ほんのりカレー風味なので、そのままでも美味しくいただくことができます。