南海で最も古い歴史を持つ駅のひとつ/|堺市で不動産売買、マンション管理ならセンチュリー21エーワンホームにお任せください。

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難波・新今宮に次ぐ3番目の利用者数は天下茶屋駅☆

南海本線

南海で最も古い歴史を持つ駅のひとつ天下茶屋駅は明治18年(1885)12月に開業しました。 難波を出て最初の停車場が当駅でありました。駅名の由来は地名で、その昔、豊臣秀吉が堺へ行き来する途中、この地に立ち寄って茶の湯を楽しんだことから「殿下茶屋(天下茶屋)」と呼ばれるようになったと伝えられています(阪堺線天神ノ森駅の西側に「天下茶屋跡」があります)。

かつては天下茶屋駅と天王寺駅を結ぶ南海天王寺支線が存在した。新今宮駅の開業以降、天王寺支線は需要が低下して廃線となるに至ったが、天満・船場・島之内を縦断する堺筋線の延伸以降、利用者数は著しい増加を見せ、全列車停車駅に昇格した。

地下鉄の乗り換えも便利です☆

駅舎は両路線の共用となっており、南海と堺筋線の駅入口が向かい合うような構成で、相互の乗り換えは容易である。地下鉄天下茶屋駅開業当時は、南海本線・高野線の高架工事が完成していなかったため駅コンコースの一部のみを供用し地下鉄専用仮設入口が設置されていた。

南海のホームの乗り換え案内には、堺筋線だけではなく直通する阪急電鉄京都(京都本線)・北千里(千里線)方面も表示しており、さらに車内アナウンス、路線図においてもこの案内が行われている。京阪本線の北浜駅や近鉄難波線の近鉄日本橋駅も堺筋線との乗換駅だが、これらには阪急の表示がない。

接近放送は、旧形では女性アナウンサーに、1番のりばと3番のりばは上り接近メロ・下り発車メロ、2番のりばのみ下り接近メロ・上り発車メロの組み合わせであったが、英語付きに更新後は、接近メロのみだが下り接近メロ統一に変更された。

単式ホームの1番線が存在するのは、関西国際空港開港時に京都から同空港までのアクセス列車として阪急京都本線河原町駅から当駅までの直通優等列車を運行する構想があり、1番線がその発着ホームとして予定されていたことによる。開通当初は錆取りとして1日1本のみの使用で、それ以外の列車は島式ホーム(2, 3番線)に発着していた。現行ダイヤでは1番線からの発車は1日1本であるが、ラッシュ時は1番線を降車専用ホームとして乗客を降ろした後、いったんホーム奥の留置線に入り、その後改めて2,3番線に入線して発車するという形で1番線を活用したり臨時列車(直通特急)の発着で使われている。留置線には昼間と夜間に車両が留置される。

豊臣秀吉も立ち寄った・天下茶屋跡

当地にあった芽木家の跡の一部である。豊臣秀吉が住吉大社や堺に行く途中、紀州街道(住吉街道)沿いにあったこの屋敷で茶会を催したという故事から、天下茶屋という名前が付いた。

江戸時代にはこの屋敷に、紀州藩主をはじめとした諸大名も宿泊したと伝えられる。明治天皇も、住吉行幸の途中立ち寄っている。

約5000平方メートルの敷地に、屋敷や茶室・井戸・池などを備えていたといわれる。しかし1945年の大阪大空襲で焼失した。そのため現在は、屋敷敷地の北西角にあった土蔵などが残るのみとなり、敷地の大半はマンションや住宅になっている。

大阪市は芽木家から土地の一角の提供を受け、顕彰史跡天下茶屋跡として整備した。

高架下にひょっこりあります!!

織田信長時代の土佐藩の家老夫婦(氏名不詳)ご夫婦がこの地で返り討ちに合い、後に豊臣、徳川の夏の陣・冬の陣の戦に天下茶屋一帯が戦場となり、
多くの霊がさまよい、徳川家光の慶安3年正月にこの碑が建立されたものですが
その後長い年月の間に碑が倒れてしまい、、いつの間にか溝川の橋に使われていました。
なぜか橋を渡った者に事故が多かったと言われていました。
昭和4年南海電鉄線路改修の際、その溝川が埋められた時、この碑が出てきましたので、事故の多いのは佛罰をこうむりしたものとして
近隣有志が有寄り現在の所に御堂を建立供養し
当時の町名をとり苔山龍王と命名され地域の守護神として祭られています。

紀州街道は長い道です

戦国時代の石山合戦のころからと文献に残っている街道であり、大阪から泉州、紀州両国の往復路として重要な街道で、また、豊臣秀吉が住吉神社や堺政所に往来した道で、その頃の街道は風景も素晴らしい道として親しまれたとある。

また、この街道は、恵美須町から天下茶屋・住吉・安立を経て堺・和歌山へ至り、明治には国道29号紀州街道といわれ主要な道路であったと記されている。