南海本線
昭和8年(1933)、南海鉄道は“第二の浜寺”をめざして二色の浜海岸に「海浜村」を開設しました。200人収容の「汀の家」を建て、宿泊施設のある海水浴場として人気を呼びました。その最寄り駅として11年(1936)6月、夏期だけ営業の臨時駅を開設。2年後の13年(1938)9月に常設駅となりました。駅名の「二色」は“白砂青松”の浜辺を表したもの。
二色浜駅から歩くこと10分、二色浜海水浴場に到着。大阪市内から1時間もかからず遊びに行ける海水浴場です。
地名の由来は、砂浜の白色と松林の青色の二色からといわれています。
かつてここは、白砂青松の松原が続き、漁民の集落がありました。海岸の美しさは、紀貫之が土佐日記の中で「松の色は青く、磯の波は雪のごとくに白く、貝の色は蘇芳(すおう:赤紫色)にて・・・」と紹介しています。昭和62年には、社団法人日本の松の緑を守る会から「21世紀に引き継ぎたい日本の白砂青松100選」のひとつに選ばれました。
二色の浜が現在の姿になったのは、平成3年末です。奥行き約200メートル、幅約1キロメートルの白浜のビーチが完成。市内外から、年間約100万人の人々が訪れています。潮干狩り・海水浴・マリンスポーツ・バーベキューなど人々が賑わう場所です。浜からの景観も素晴らしく、晴れた日は、関西国際空港や明石海峡大橋が一望できます 。また海岸から眺める夕日も絶景ですよ!
白砂青松のコントラストがおりなす美しいパノラマビーチ。
白い砂と青い海、松林の緑のコントラストが美しい二色の浜公園。
大阪府下で随一の海水浴場は、多くの海水浴客で賑わう。
色鮮やかな松林を背景に、近木川河口から南へのびる
白砂のビーチが約1キロメートル続く。
帆船マストのモニュメントが公園のシンボルともなっています。
約1500年前、異国の人から伝えられたという櫛づくりの技術を、「辻忠商店」など工房の職人さんが今に受け継いでいます。丈夫で静電気も起きにくく、使うほどに髪が綺麗になるといわれるつげ櫛。地元の人にとっては日々の暮らしになじみの深いもので、昔は女の子が生まれると庭につげの木を植え、嫁入りのときにその木からつくった櫛をもたせていたと言い伝えが残るほど。
櫛だけに、慣れない新婚生活への不安をやさしくときほぐしてくれるとされ、女性にとっては、
外見だけでなく心も整えてくれる一生ものの愛用品。持ち主を美しく、そして幸せにしてくれるまちの逸品です。
天櫛玉命(あめのくしたまのみこと)を祭神とするこの神社は、古くから櫛の神として全国の木櫛職人や商人からまつられてきました。
「八品神社由来記」によると、欽明(きんめい)天皇の時代(531年~571年)の創建と伝えられています。1909(明治42)年に南近義神社に合祀(ごうし)されましたが、この時、社殿はそのままで残されました。
社殿には奉納された櫛絵馬が掛けられ、境内には石造の櫛塚が建てられています。近義櫛(つげ櫛)は古代からこの地域の特産物で、平安時代後期に藤原明衡(あきひら)が著した「新猿楽記」に「和泉櫛」として紹介されています。中世には宮中などに多くの櫛が納められ、櫛職人が全国へ販売に出かけていたことが知られています。
明治以降、セルロイド製の櫛が出回り一時木櫛は衰退しましたが、木の持つ温もりとその品質の良さが見直され、現在は貝塚市の特産品の一つとなっています。