南海本線
鶴原駅と泉佐野駅の間には、鶴原地区のほか下瓦屋、湊、中庄、上瓦屋などに古くからの住区があり、ワイヤーロープなど鋼線関係の工場が点在していたこともあって、昭和27年(1952)4月、両駅の中間に開業しました。山手の上瓦屋地区が昔、井原庄と呼ばれていたところから駅名に採用されました。中庄にある奈加美神社は平安時代初期の創建と伝えられ、旧社名は大宮神社でしたが、中庄の「な」上瓦屋の「か」湊の「み」を取って三町合同の願いをこめて現在の名前になったといいます。本殿は華麗な彩色の三間社流造で大阪府の指定文化財となっています。
奈加美神社の創建は、平安時代にかかるものとされていますが、それを詳らかにするものは残されておりません。
旧社は大宮神社と称されておりました。平松家、藤田家の古文書によれば、宝治2年(1248)にはすでに大宮神社は分社をなし、佐野・大武家村に大引欠神社を有していたとあり、その後も分霊分社が続き、室町期文明2年(1470)には、近郷七ヶ村に及ぶ七座七社の惣鎮守社として、村人の崇敬を一手に集め、宏壮深遠な神域をもつ名実とも大宮であったとされています。「今に大宮様七膳づつすはるや」と、七座の神饌を献ずる習わしは分社の由縁によるもので、明治の神社合祀まで続けられました。
湊の教蓮寺古文書に依れば、大宮神社は紀州根来寺の触下にあり社領三千石を有し、大宮大明神、または大宮庵とも称され、神仏習合の時代には真言宗の社僧が祭祀にあたったことが記されています。
天正5年(1577)の織田信長の根来攻めの際、当大宮神社も悉く焼き払われ、この戦災後、慶長15年(1610)8月、ときの代官・新川宮内大輔、沙門松室坊賴真法師等が焼廃した神社の再建にあたり、現位置に社殿が造営されました。
明治41年(1908)から翌明治42年(1909)にかけて、中庄・上瓦屋・湊の3村の字々の神社が合祀され和協一致の精神による神社の護持発展を願い、3村の奈(中庄)加(上瓦屋)美(湊)の頭仮名文字を綴合せて、万葉仮名の響きも美しく「奈加美神社」と称されることとなりました。
「いこらもーる泉佐野(旧名称、ショッパーズモール泉佐野」があり、エディオン、コムサイズム、ユニクロ、ドン・キホーテ、コープいこらもーる泉佐野)など数多くのお店が入った大型ショッピングセンターです(●^o^●)