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多くの電車がこの駅から出発します!!!

南海本線

旧陸軍の飛行場を建設するために動員された人々や建設機材を輸送するため、昭和17年(1942)2月に開業しました。この付近の海岸はかつて「筥(はこ)浦崎(うらざき)」と呼ばれていましたが転訛して羽倉崎になったと伝えられ、駅名はその地名から付けられました。隣接する羽倉崎車庫は昭和30年(1955)8月に竣工し、現在は170両の収容が可能。時には珍しい車両が入ることもあり、電車好きにはたまらないスポットです。

ラッシュ時運転の難波行き普通、準急、区間急行の多くはこの駅が始発である。2005年11月26日以前は、日中も1時間に1本ずつこの駅で折り返す難波行き普通が設定されていた。車庫がある関係で今でも早朝を中心に始発列車が、夜間には終着列車が多く存在する。なお平日ダイヤでは南海で最も終電の到着時刻が遅い(0:59着)。

市民の憩いの場として古くから有名。

泉佐野市にある末広公園は、88,575平方メートルと広大な敷地面積を誇っています。しかも泉佐野市内の公園の中でも古い歴史を持つ公園として有名。園内には様々なスポーツに利用できる多目的グラウンド・市民総合体育館・プールを併設しています。多目的グラウンドは低料金で利用できることもあり、野球・ソフトボール・サッカーが人気です。末広公園は羽倉崎駅から東へ歩いて約15分の距離。お車の場合は有料駐車場を利用できますが、収容台数が少ないので注意が必要ですね。

紀貫之ゆかりの神社・・・蟻通神社

もとは現在地より約1km北方に鎮座していた。熊野街道に沿って広大な神域を有していたが、佐野陸軍飛行場(明野陸軍飛行学校佐野分教所)建設のため、昭和19年(1944年)に現在地へ遷座。規模も縮小された。移転前の旧神域の一画には「蟻通神社跡」の石碑が建てられている。

紀貫之の和歌や清少納言の「枕草子」、世阿弥の謡曲「蟻通」などに登場しており、熊野詣に訪れる人々の信仰を集めました。毎年9月には、舞殿にて能楽奉納行事「ありとほし薪能(たきぎのう)」を行っており、こちらも注目ですよ。

重要文化財がいくつもあります☆

南中樫井の熊野街道沿いに建てられた、1600年ごろ(慶長・元和のころ)のものとされる住宅。時代の移り変りとともに数度の改・増築が行われていますが、はじめは4室が田の字に並び、奥の2室が大きくて食い違いになって土間につきだし、これにもう2室が加わった6室の建物だったと推定されています。「食い違い」の4室を主体とした泉州地方の農家住宅としてはもっとも古いものです。母屋(奥座敷を除く)のほか、長屋門・土蔵・土塀が重要文化財に指定されています。

大坂夏の陣の舞台にもなった泉佐野市の南中樫井。
かつては御家人や庄屋の屋敷として使われていた大型民家で、
築年数は江戸時代から数えてなんと400年以上。
国の重要文化財にも指定されている貴重な建物ですが、
一時は空き家の状態に。。。。
「地域の宝をそのままにしてはおけない」と立ち上がったのは、
地元の人たち。「奥家住宅保存会」を結成し、
修繕や掃除、庭の手入れを続けています。
めざすは、建物内部を一般公開し、たくさんの人が集う場にすること。

地元の方にも愛されてる文化財です\(◎o◎)/!