堺の交通の要・南海本線 堺駅|堺市で不動産売買、マンション管理ならセンチュリー21エーワンホームにお任せください。

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堺の交通の要・南海本線 堺駅

南海本線

特急もしくは急行系列車と、普通車との緩急接続がほぼ終日行われている。日中は当駅発車後の普通車は、上りは難波駅まで先着(途中、天下茶屋駅までの各駅と、新今宮駅に停車)、下りは泉大津駅まで先着しているが、その途中の高石駅では、全車指定席「ラピートβ」または、一部指定席「サザン」に追い越される為、岸和田駅にはこれらの特急列車が先着する。また、2階に改札、3階にホームがあり、改札口は東出口と西出口に通じる中央改札のほか、南改札口もある。中央改札横の東西連絡通路に売店とマクドナルド、QBハウス、堺市観光案内所があるほか、東出口側通路の壁に吉田初三郎が描いた「堺市鳥瞰図」(複製)が掲示されています。

平成13年(2001)の第2回「近畿の駅百選」で認定駅に選ばれ、高野線と並行しない区間では当駅が最も乗降者数が多い駅となってます。

堺市最古の駅です。

1888年(明治21年)に開業した堺市最古の駅。かつては市の代表駅とされていたが、1965年(昭和40年)、阪和線堺市駅に市の代表駅の座を譲った(現在は南海高野線堺東駅が実質的に代表駅となっている)。

開業時は現在地よりやや北側の南海バス堺営業所付近に駅があった。駅所在地の吾妻橋通は市街地西部の戎島のさらに西側に形成された附洲の一画にあたり、旧堺港に近く、鉄道唱歌にも浜の風景が歌われている。

大小路の西端に位置するものの駅前は寂しく、竪川以南の新地(龍神)や大浜公園が活況を呈していた。1912年(明治45年/大正元年)に阪堺線宿院停留場が開業。続けて宿院停留場から大浜公園に向けて大浜支線が開通。同線と南海本線との乗り換え駅として龍神駅(りゅうじんえき)が開業。1912年のこれらの出来事は堺駅の地位低下を決定づけるものであった。

龍神駅は不便な堺駅に代わる堺の新しい玄関口として、堺駅よりはるかに賑わうようになった。戦前の龍神駅は堺市最多の乗降客数を誇り、優等列車である特急・急行は龍神駅に停車、堺駅は通過した。龍神駅はまた、阪堺電鉄(後に大阪市電阪堺線)の龍神通駅との接続駅でもあった。1945年(昭和20年)、甚大な被害を出した堺大空襲後の旅客営業再開は龍神駅のみで、堺駅はついに貨物駅となるに至った。

1955年(昭和30年)に線形の改良工事に伴い、龍神駅からフェニックス通りを挟んで北向かいの位置に、堺駅と龍神駅を統合した新生「堺駅」が誕生し、旅客営業を再開した(現在の堺駅南口。コンフォートホテル堺)。1985年(昭和60年)に南海本線の高架化に伴い、再び大小路の西端に移転したが、開業時の位置からはやや南寄りで、ホームは戎島と龍神の間を流れる竪川を跨いでいる。

大浜海岸など海浜リゾート地の工業地帯化、遊廓の廃止などで一時は場末のように寂れていた駅周辺だったが、現在地へ移転後、駅前にイトーヨーカドーが開店(関西初)するなど徐々に再開発が始まり、リーガロイヤルホテル(現・ホテルアゴーラ・リージェンシー堺)、プラットプラット、ラウンドワンなど商業施設も開業、堺駅はかつての賑わいを取り戻しつつある。シャープ堺工場や堺浜シーサイドステージ、Jグリーン堺が開設されてからは、それらへ向かうバスの発着拠点としての機能も果たしている。なお、イトーヨーカドーは2011年2月13日に閉店したが、2014年3月20日、跡地にライフが開店した。

東口改札周辺

東口には駅ビルがあり、各種事務所が入居している。駅ビルの北側に隣接して複合商業施設「プラットプラット」平成12年7月、南海本線堺駅に直結した商業施設としてオープン。「自由・交流・活気」をテーマにしたカラフルな祝祭デザイン、開放感あふれる自由街路など、個性的な設計の商業施設ですもあり、家電量販店「エディオン」やスーパー「コーヨー」等が入居している。東口の駅前広場は旧来の堺市街を横断して堺東駅に至る大小路の西端にあたり、堺市内各方面への路線(堺区内・松原方面)や東京方面への長距離路線が発着する南海バスの堺駅前停留所がある。南海バス堺営業所も近い。2014年3月にライフが開業した。

西口改札周辺

西口改札周辺では、ポルタス堺、ホテル・アゴーラ リージェンシー堺(旧・リーガロイヤルホテル堺)があり、ペデストリアンデッキで結ばれている。他にラウンドワンやアパホテル堺駅前などがある。西口の駅前広場は国道26号に近接してます。

三宝臨海地区のJグリーン堺、堺浜シーサイドステージ、堺ディスプレイプロダクト堺工場へ向かう南海バスと、住之江公園駅へ向かう大阪市営バスの堺駅西口停留所がありその中でも、堺浜シーサイドステージではシネコン、レストラン、遊技場などを擁する“Amusement Zone”、大型家電店、暮らしの専門店からなる“Living Zone”、天然温泉と癒しのスパ“Relaxation Zone”と、大きく3つのZoneで構成されるエンターテイメントショッピングパークです。それら充実した施設はもちろんのこと、『堺浜シーサイドステージ』の魅力は美しい自然にあります。真っ青な海と太陽の光、豊かな緑は、訪れる人に優しい癒しの時間を提供します。すこし足を伸ばせば「海とのふれあい広場」があり、広々とした芝生公園やドッグラン、バーベキュー広場で思い切り自然を満喫。多くの人々でにぎわい、楽しく豊かな時間を創造する舞台となっています。

南口改札周辺

ショップ南海やコンフォートホテル堺(旧・ホテル南海さかい。旧駅舎跡)がある。竪川の南、龍神と呼ばれる新地(栄橋、竜神橋、住吉橋の3町)に位置し、改札と駅前広場がやや離れているため、高架沿いに商店街が形成されている。南口の駅前広場はフェニックス通りに面し、主に北野田・金岡方面への路線が発着する南海バスの堺駅南口停留所がある。また同停留所は、高架化までは「堺駅前」だったが、高架化に伴い改称されました。

また、南口改札を出て、徒歩・約10分のところには、大浜公園があり明治12年に海浜公園として誕生し、有名になりました。現在は16ヘクタールの敷地の中に、野球場、プール、体育館、相撲場、サル島などがあり、気軽に利用できるレクリエーションスペースとなっています。

堺といえば刃物・・・堺刃物伝統産業会館(堺HAMONOミュージアム)

堺刃物・・・それは火と鉄と水と人の巧がなす絶妙の切れ味。料理人の多くが堺刃物を広く支持しているのは、永い間に築かれた堺刃物に対する信頼の関係です。。
堺は日本の夜明けの無頼となった町で、今から約2000年前弥生時代中期には既に集落が営まれ、石包丁が使われていました。我々人類の祖先が道具として一番先に使いはじめたのは、刃物だといわれています。
世界最大の古墳仁徳陵は堺の東部丘陵地帯にあり、当時この造営は想像を絶する大土木工事であったものと思われます。
工事用の鋤、鍬などの土工具が沢山生産され、職人は集落をつくって住みつき、今では丹南(タンナ)や日置荘(ヒキソウ)などの地名として面影を伝えています。天文12年(1543年)ポルトガル人によって鉄砲、たばこが伝来しました。堺刃物の優秀な技術はここにも生かされて、戦国時代堺は鉄砲の産地として重要な役割を演じました。
天正年間(1573年~)たばこの葉を刻むたばこ包丁が堺で造られるようになり、徳川幕府は堺極印を附して専売したために、堺刃物の切れ味と名声は全国各地へ拡がりました。
鍛えられた鋼の切れ味に優るものはありません。600年の伝統が今も脈々と受継がれ、世界に誇る堺刃物が生産されています。

その切れ味の良さから、全国で「堺の刃物」として使われ続ける「堺刃物」。こうした刃物の本場、堺刃物を展示するだけでなく「見て」「触れて」「体験」できるのが、堺刃物伝統産業会館です。「堺刃物伝統産業会館」は、その愛称を「堺HAMONOミュージアム」とし、多くの見学者に親しまれています。